兄と弟
月にぽつんとたたずむ大きな館。
部屋の中央に大きな硝子の半球が横たわっているそこは、
月の民の中でも入れるものが限られている部屋だ。
「……本当に行ってしまうのか、クルーヤよ。」
名残惜しそうに弟を見つめるフースーヤ。
その瞳の奥には、複雑な色があった。
「ええ……ごめんなさい、兄上。」
クルーヤは単身月を離れ、青き星に降り立とうとしていた。
すでに全ての準備は済んでいる。後はもう、魔導船に乗るだけだ。
「だが、再三いうがこの星の民はまだ未熟だ。
お前はそこにわれらの知識を貸すつもりなのだろう。
うかつにそんな事をしてしまえば、そこで争いの火種が増えるだけだ。」
次元を超える道、天かける船、火薬を初めとする各種の兵器。
どれもこれも、使い道によっては悲劇を招く代物だ。特に兵器は。
「……違います。」
ただ、行きたいのだ。硝子の半球に映る青い宝石の星に。
ちょうど、身内の醜い争いばかりが続く月の民に嫌気も差していた頃だ。
しかしフースーヤの言うとおり、青き星の文明を見守り、陰ながらその発展を手助けしたいとも考えている。
これだけは再三に渡る兄の忠告を聞いても、どうしても捨て切れなかった。
「そうか……。だが、これだけは兄としてお前に約束して欲しい事があるのだ。」
「兄上……?」
突然の言葉に、クルーヤはほうけたように兄を見つめる。
「……あちらについたら、どこかに魔導船を封じてくれ。
出来れば、お前以外のものに知られぬようにして欲しい。
万が一、お前が降りた船の仕組みを知った彼らが、
軽はずみな考えでここに来ては困る。……それに、あれの仕組みは戦を招く。
お前がもたらしたもので悲劇が起こるのは、私とて望まない。」
もしそうなれば、心優しき弟はさぞかし悲しむだろう。
指導者である前に肉親として、それは非常に避けたいものだ。
「わかりました。この身にかけて、約束します。」
胸に手を当て、うやうやしく頭を下げる。
そして、兄に最後の別れを告げるべく口を開いた。
「さようなら、兄上。」
短くそれだけ告げると、クルーヤはそれきり振り返ることなく部屋を出て行った。
「達者でな……。」
それが、兄弟の過ごした最後の時間だった。
クルーヤはこっそり隠してあった魔導船に乗り、静かに月を後にした。
それをフースーヤは見えなくなるまで見届け、弟の幸せを祈る。
月の民が住まうそれよりも大きい月が、白く輝いていた。
「白い月よ……どうか、クルーヤに幸あらんことを。」
それから間もなく、ゼムスを初めとする移住強硬派が月の奥深くに封じられた。
残った穏健派と中立派は、一部を残して永いコールド・スリープに入る。
いつか青き星の民の文明が成熟し、自分達を受け入れられるようになる時を夢見て。
だが、悲しきかな。
皮肉な事にクルーヤがもたらした月の文明によって、
ささやかな兄弟の願いがかなう事は無かった。
―END― ―戻る―
最初は、魔導船のつもりで書いてました。
でも、途中で気が変わって「兄と弟」に変更。
相変わらずの妙に王道を外す癖で、クルーヤとフースーヤです。
小説としては最短の2日で完成。これだけ短いのも異例ですが、
単にいつもの文の一部を持ってきたくらいの長さなのですよ。
とりあえずきれいにまとまっていれば良いですが……。